トライアル













トライアル競技の概要
 オートバイトライアル(以下トライアルと呼ぶ)競技は、多様な「地形」でライダーの「技量」を競います。地形…自然の岩石・沢・斜面及び人工物等で構成された所に、テープ及びカードで規制された走行ライン(セクションと呼ぶ)が設定され、セクションが複数箇所設定されます。

 技量…セクションを走行するライダーは制限時間内に足をつかず走破することを求められます、足を着いたり転倒・エンスト等により減点されますので、勝者は最も減点数の少ない者となります。

 トライアルはエンジン排気量を問いません、大排気量車でもOKで全てはライダーの技量によります。 ただ馬力(トルク)と重量(軽量が良い)による走破性から排気量250CC位のオートバイになっています。

0.はじめに
 この記事を書くにあたって困ったのは、記録も写真も残っていない事です。 写真は好きじゃないので撮らないし残っていないのです(理由:不恰好な自分の姿を見たくない)。 記憶にたよって書くので正確な期日で無いところもあると思いますがどうかご勘弁下さい。

1.自己紹介
 福島県在住で50歳超(1954生)のMFJ国際B級、27歳にして目覚め以後トライアルまっしぐら、彼女を思わない日はあっても(←おっと妻子ある身で危険な発言を)365日トライアル浸けの気持ちで現在に至る。

 東北選手権と全日本選手権を追い続けて20数年、最下位の成績やリタイヤに逃げ去った事も多々ありました。 それでも続けて来てるのはトライアルの面白さがあるからだと思います(惰性でここまで来ているのかもしれませんが)。

2.始めたきっかけ
 今から20数年ほど前になりますが結婚を機に労働組合の役員を退き暇な日々を過ごしていた頃に、トライアルを真似た会社の同僚がスタンディング(走行停止状態で足を着かずオートバイの上で立っている事)を自慢げに見せたのです。

 高校生の頃オートバイを乗り回していた思いから興味を持ち、即バイク(TL125の後継イーハトーブ125)を購入し同僚に追いつくべく河原を乗り回し始めました。

3.当初の練習
 トライアルを始めた当初は緩やかな斜度の河原土手を上がるのも、高さ30cm程のU字溝を越えるのもドキドキ危なっかしい走りでした。 低速で走る為かふらつき狙うラインは外れまともに走れません、しかし上手になりたくて毎日のように練習に励みました。

 その練習方法とは、まず自宅(当時は借家住まい)軒下でスタンディング30分(バイクの上でじっとしている事)←これは1年半ほど毎日続けました。 他に、当時発売されていた「ベストバイク」月刊誌の加藤文博氏トライアルスクール講座を真似て(今月は8の字ターン・来月は丸太越え等と)次号が出るまでの一ヶ月間ひたすら同じ事の反復練習などをしたりしました。 なんとも歩みの遅い練習です。

4.私にとって面白さは
 トライアル…たいして上達も出来ていないのに20年以上続けている理由は…明確には言い表せませんが、ただ言えるのは自分にとって続けるのに無理が無いと言うことです。 無理…スキーやテニス等に熱中した事もありましたが、思うように上達しない歯がゆさ等もあり続けるのが面白くなくなっていったのですが、トライアルは上達しなくとも楽しくて苦痛に感じません。

 良さを何点か述べるなら、まずは運動であること…全身運動の疲労感は心地良いものです。 次に走る対象が変化に富んで飽きないこと…岩あり斜面あり、一つの障害物に対しても色んな角度やテクニックで挑戦する面白さがあります。

 休日はまずトライアルありきで他の諸用事と時間スケジュールを組立てます。 用事で忙しい場合は早朝や夕方などに少しでも時間を割いて練習に出かけます。

 熱中出来る趣味を持たなかった若い頃(20歳前後)は、休日が無駄に過ぎてしまうような苛立ちを感じていました。 今はトライアルのおかげで充実感があります。。

5.トライアル自慢の反省
 「トライアルやっています」「是非見に来て下さい」と自慢したくもなってました。 モトクロスもロードレースも周回するライダーをただ眺めるだけじゃないか、トライアルは各セクション毎に間近でダイナミックライディングが観られるんですと。

 が、ある全日本に出場した時の事、当時は走行ラインのクラス別けが無い為、国際B級下っ端の私もA級の全日本トップと同じ走行ライン。 自分にとって難攻不落・危険セクションはエスケープ(そのセクションを走らずに失敗減点のパンチカードを貰って次へ通過する事)してました。

 その時、観客から「なんで走らないんだよう!」との声が聞こえました。観戦するのに林の奥まで歩いていっても、下手なライディングやエスケープを見せられては面白いはずがありません。

 トップライダーの走りは驚嘆ですが、自分の走りは「なんだそれ」のレベルだと思いっきり自覚した日でした。

6.全日本へ参戦スタート
 1983年(29歳)でMFJライセンス取得、翌年ノービス(現在のNB)優勝し次大会からジュニア(同NA)へ昇格、1986年(32歳)で全日本デビューしました。 初戦は四国大会、成績はほとんどが5点でやっとセクションアウト出来たのが数個ある位でした。  同大会は鳴り物入りでIA昇格した泉裕明氏と山本昌也の戦いが注目された時でした。

 当時はIAクラスとIBクラスの走行ラインが同じの為、IAトップが勝負を決するようなセクションをIB下位レベルの私がまともに走れる訳がありません。 大会を経る毎にオール5点に近い成績に段々慣れてしまい、それは東北選手権にも影響を与えどこの大会でも緊張感の無い惰性で走るようになってしまいました。

7.参戦は遠き道のり
 移動に高速道路を使用すれば時間的に楽で、仕事を持つ社会人にとって全日本も数多く出場出来やすいと思いますが、20年以上前は高速道路の整備がまだ不十分で遠征に結構苦労しました。

 例えば近畿(兵庫県猪名川)大会を例に取りますと、福島を金曜日夜に出発して800kmの道のりを夜通し交替で走りました。 夜中の運転では脇で仮眠しようにもなかなか寝付けず、大会後の帰る道中もきつかったです。 年取ったせいか昔の苦労が懐かしい、それにしても今は高速道路の網羅で移動は楽です。

 2007年3月の全日本九州第2戦は九州鹿児島、往路は片道1,700km程を3日間かけて行きました。 一日650kmづつ走り、2日目夜に下関へ到着3日目に九州に渡りました。 九州内はどこも車が混んでいると思ったらバイパス道路が無いんですね、街中を通る主要道路に片側1車線とくれば渋滞はあたりまえ。
 帰路は工程の半分(800km)高速を使い、仮眠4時間含めて合計34時間で帰宅しました。 

8.メンタル面のあり方
 メンタル面に左右されやすいトライアル競技(緊張感の無いスポーツは有り得ない)、気合というか集中力というか気持ちのもち方にいつも悩みます。 しかし良い成績を残せた(と思う)大会を振り返ってみると、そんな事を気にせず一心に突き進む感じでセクションをこなしていたようです。

 ノービスで優勝した山形県大会、初めて全日本入賞した1998年夕張大会、全日本7位入賞した2003年猪名川大会等、いづれも気持ち・意識の点で共通するものがあります。

 普段は「今日はなんとしても勝ってやる…」みたいな気持ちでスタートして、失敗が続いたら「今日はもうだめだ…」と投げやりになります。 が、うまく行く時は「勝たねばならない」の意識にしばられず、セクションの下見に時間がかからず、失敗しても気持ち的に尾を引かず走り続け、結果思ったより成績が良かったという感じです。

 ただそんな時は次の大会で「俺は上手くなったんだ、ようし今回もやってやるぞ〜」と自惚れるせいか、どん底の成績にたたき落ちるのが常です。

9.全日本初入賞
 1998年44歳の年です、それまで北海道大会出場はだいぶブランクがあったので、観光を兼ねてエントリ-しました…夕張大会最後の年です。 観光ついでだから楽しんで帰ろうとゆったり構えていました。

 しかし当日朝の練習で、なんとリヤタイヤのエア漏れに気付いたのです(1時間程の間に0.3→0.25位へ減)。 スタートまで時間が無いので、エアを高めに入れながら早周りする事にしました。

 焦るというより先を急ぐ感じで下見もそこそこ、そしたら第1secから3点次のsecは5点になったりしてとても期待のもてる感じはありません。 でしたからゴール後早々に帰り支度を済ませ、成績確認のため本部へ行った時は入賞に嬉しさよりも意外な感じを受けました。

 振り返って考えると普段は下見でうじうじ悩みますが、夢中でセクションをこなした事が功を制したのかなと思います。 入賞の嬉しさと室蘭フェリー埠頭で見た“和歌山毒物カレー事件”のニュース、お互いがリンクして忘れられない思い出となっています。

10.ものぐさトレーニング
 私はだいぶ歳を取ってきました(2006年現在52歳)…でもまだまだ全日本にチャレンジして行きたいと思っています←年寄りのアガキ。 トライアルスポーツをやる為のトレーニングも時折考えますがジョギングや腕立て伏せ等は長続きしませんでした。

 老化による体力低下は何かを考えてみましたが、筋力は意外と低下しないと聞きます(持久力は不明ですが)。 三日坊主にも出来るものをと思案して思いついたのがバランス力トレーニングです、目を瞑って片足立ちとかバランス盤上で立つとか(トレーニングといいつつちょっとの時間しかやりませんが)。

 はたしてバランス力は鍛えられるのか?中年になってからの実行で効果はあるのか?トライアルに向くのか?等々の疑問はありますが、物は試しと始めました。 これなら簡単だし飽きっぽい自分向き…どれほどの効果があるか分かりませんが続けてみます(何もやらないよりマシ位の感じとやってるという自己満足にもなる)

11.ビンボー遠征
 東北大会のみならず全日本大会にも1人で出かけます、一緒に行くライダーがいれば交通費割り勘も出来るのですが(特に全日本には出場する人が近くにいない)。 バイクにかかる年間の費用を考えるとビンポー人の私としては少しでも節約したいところ、そこで大会遠征時はなるべく高速を使わないと言う訳です。

 「大会に出なければお金がかからないのでは」との声も聞こえそうですが…確かにそのとおり言われてみれば…でも出続けたい。 仕事が土日休みと有給休暇を取りやすい職場だから出来るのかもしれません、大会遠征の往路はほとんど高速を使わず下(国道)を走って行きます。

 全日本中国下関大会(2006年9月)は福島〜下関間1,300km程を仮眠・休憩含めて30数時間で行きました、運転の疲れよりヘタさで入賞を逃しガッカリ。 成績の振るわない時は帰りの運転が辛いというか面白くないというか…自宅がはてしなく遠く感じます。

 2007年全日本第2戦九州大会が3月25日鹿児島県日置市の錫山オフロードランドで開催された際も極力高速代を節約して出走して来ました。 福島〜鹿児島間1,700kmにかかる交通費を計算してみますと、燃料代概算:1,700km×2(往復)÷10km/L×100円(軽油)=34,000円、高速代概算:33,000円×2(往復)=66,000円となります。

 つまり燃料代+高速代で100,000円かかることになりますが、高速代をETC割引適用(深夜割引)で計算しますと66,000×0,7=46,200円となり燃料代との合計は34,000円+46,200円=80,200円と若干安くなります。

 そこでもっと節約しようと考えて実際には往路を全線高速道路使わずに3日間かけて行きました、帰路は仕事の都合上急ぐ為800km程を高速利用して帰りました(帰路に要したのは34時間)。 この場合高速代は深夜割引適用で12,000円程だったので、燃料代との合計が34,000円+12,000円=46,000円で済んだのでした。

12.トランスポーター
 オートバイを積むのに最初は軽トラックでしたが、長距離走行は疲れるし車内では横になって寝れない、また車内での着替えが不便でもありました。 そんな事から1BOX車購入を考え、自宅を新築した際(平成元年)借入金を多めにして、そのお金で購入しました。 それがこのいすずファーゴ(ISUZU FARGO)です。

 2.4Lのノンターボディーゼルエンジンで、少しでも燃費が良いようにと考え5速マニュアル2WD車を選びました。 おかげで燃費は通常走行で12km/L、長距離走行では14km/L位走りました。 ただノンターボの2.4Lディーゼルは非力!でした。 この車では平成9年まで21万km走行しました。 私は通勤時に車を使用しないので土日など休みの時に乗ります、時々の家族ドライブもありますが、メインの使用は練習や大会遠征です。

 それまでいすず「ファーゴ・バン」型LSタイプ2400ccに乗っていましたが、平成9年6月に発売間もないトヨタ「ハイエース・レジアスバンG」を購入しました…カタログでは車両価格260万円。
 エンジンはディーゼル3000ccノンターボ、非力この上無くかったるいです。 燃費が良いようにと2WDを選択しましたが通常走行で10km/L、遠出で良くて11〜12km/L、高速道路120km巡航だと9km/L以下です。
 
 購入から数年後職場の人が「ワンボックスカー」欲しいと言うのでレジアスを勧めたら、「Web上で見たけど無いよ〜」と。 そんなばかなと思いましたが、TOYOTAのHPでいくら探しても見当たらない!…。

 結局「レジアス」は5〜6年程の短命に終ったみたい、乗用タイプはアルファードへ集約され・商用タイプは引き続きハイエースが引継ぎ…バンタイプは長い荷室スペースが優先されるからボンネット型は嫌がられるのか。

 この車のスタイルについては結構気に入っています。 持論ですが、私は自動車のスタイルは角型=直線型であるべきだと思っています。 直線型の典型例はランボルギーニ、どのタイプも惚れ惚れします。 

 「八都県市粒子状物質」規制…(参考HP:http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/jidousya/diesel/http://www.8taiki.jp/)ワンボックスカーで5ナンバー車はOKでも4ナンバー車はダメ(規制対象)、規制の意義不明ですね。 この車で今後東京とか規制対象地に行くのは数回あるか無いかだと思いますが、正義感(バカな私)で付けてみました。 

 この装置を付けるにあたっては一悶着…行きつけの整備工場に聞いたら「やったこと無い」、しかも工場長は規制内容を理解していなくて「当県の車は装着しなくて良いんだ」と言う有様。 茨城県の知り合いの整備工場に聞いても「私どもでは出来ません」、それなら頼みの綱はディーラーと言う事でTOYOTAショップに問い合わせても「やった事が無いので…」。

 TOYOTAディーラーでも明確な回答を貰えず困った私は、トヨタのお客様相談センターへ電話「TOYOTA車の事なのになんとかならないのでしょうか」。 すったもんだの末市内のとある整備工場で装着して貰うことになりました。 装置はアペクセラ(株)製「A`PEX CATA」←どうしてTOYOTA製は無いのかな、工賃込みで約19万円弱でした。

 仕上がって来た車を試運転…キーONでいきなり驚く!車内に響く排気音、たまらず外に出ると今まで同様の静粛音、どうやら触媒装置のタイコ部分が排気音を増幅させて車内にこもるみたい。 更に走りだすと回転数が何段階か毎にモーレツな共振ビビリ音でこりゃとても使用に耐えられません。

 車の下側を覗き見ると触媒装置脇の排気管に溶接された鉄板が車体にネジ止めされています。重さを支える為かもしれませんが、とても共振ビビリ音には耐えられないのでジスクグラインダーで切断。 しかしそれでも車内に響く排気音…結局純正排気管を取り寄せ、已む無く触媒装置を取り外しました。 お金19万円をドブにでも捨てたようなもの、あ〜あ馬鹿らしい。

 今のところ走行距離は2010年5月で28万km、週末(土日)のみ走行では走ってる方でしょうか? 







 オートバイを積んだ状態です。 レジアスはボンネット部に寸法を取られるので、後部座席を折りたたまないとオートバイが入りません。 後部座席をたたむと2名乗車しか出来ず、横になって体を休めることも出来ません。 なので、この車で夜通しの交替運転は無理です。

 床には厚いゴムマットを敷いてあります。 通常はオートバイの他に工具、その他雑多なものを積んでおります←家族で出かける場合、車内を片付けるのに一苦労します。






 後部座席を起こして(乗車5名状態)、荷室部分を寝られる状態にしたところです。 家族で出かける(ドライブ・キャンプ・スキー等)際はこのようにします、床下に相当な荷物が入るので便利でもあります。





 故障・トラブル経歴=2007年3月現在21万超km走行しておりますが、車検/点検以外でのトラブルを申し上げますと、18,5万km時オドメーター=走行距離計交換(走行時に速度計・タコメーター・オドメーターがいきなりダウン)、18.7万km時ウォーターポンプ不具合でウォーターポンプ+タイミングベルト交換(兆候は走行時ブルブルとエンジンからの振動)、21,3万km時にFディスクブレーキ引きずり(ピストン戻り不良)で分解整備(兆候は走行時にブレーキが引きずっているような匂いがしてきた)。

13.トライアル関係の雑誌
 私がトライアルを始めた頃(1982年=昭和57年)は今のように専門誌が無くて、オートバイ雑誌を色々読みあさって情報を得ていました…その中で定期購読していたのはベストバイク(オートバイ全般、廃刊)・CYCLE SOUNDS(オフロード系、廃刊)・RIDING SPORTS(ロード系)の3誌でした。 

 ベストバイクには加藤 文博のトライアル講座があり、またCYCLE SOUNDSとRIDING SPORTSにもまめにトライアル情報が掲載されていました。 トライアル専門誌が無い分各誌が良心的?に扱っていたのでしょう、おかげでそれらの雑誌から色んなジャンルの情報も知り得ることが出来ました(MXのスティーブ・マーチンやRRのフレディ・スペンサーには興味惹かれましたっけ)。

 その後1984年11月に「TRIAL JOURNAL=トライアルジャーナル」誌(以下TJ誌と記す)が1985 No1号として発刊された時には感激したものです…ちなみに創刊号は山本 昌也の世界戦初挑戦にて入賞の記事で飾られました。

 しかしTJ誌にはしばらく…半年以上は悩まされました、何故かというと発売日にきちんと店頭陳列されなかったのです。 流通の問題なのか何なのか分かりませんが、とにかく発売日を過ぎても今日か明日かとあちこちの本屋をめぐっては待ちわびていたものです。 TJ誌があるとトライアル情報満載なので、次第に他紙を購入しなくなりました。

 1996年にTJ誌が廃刊した後は「Straight On=ストレート・オン」と「自然山通信」が後を継いでいますので助かります…ちなみにストレート・オン創刊号は黒山 健一の世界選手権初優勝で飾られていました。

14.レース情報伝達の手段
 今は世界中のレース結果を即日にでもWeb上で知ることが出来ます。 もてぎに於けるTR世界選手権の際には逐次情報が提供されるので、家にいながらにして各ライダーの接戦状況を知ることも出来ます。

 しかし20年程前までは月間雑誌の掲載を待つしかありませんでした、雑誌の記事締め切り直後のレース情報などは翌月までおあずけです。 とにかく時間はかかっても情報を待ち望んでいたものです。

 そんな中1988年(S63)頃だったかと思いますが、RIDING SPORTS誌で「ライディングスポーツクラブ」発足とクラブ員募集がありました。 これは全日本と世界のオートバイレース結果速報を郵便で知らせてくれるというもので、さっそく加入手続きをしました。

 しかしその結果は一年ももたずにクラブ終了となってしまいました、何故かというとFAX通信の普及があったからです。 私のいきつけのショップにもレイズ社(ベータ製トライアル車のインポーター)からレース毎FAX送信されて来るようになりました。…「ライディングスポーツクラブ」は発案が遅かったというよりも、その直後からの急激なFAX普及が時代を先行したのです。 FAXによるレース速報はその後インターネット普及まで活用されました。

15.私のトライアルマシン歴
(1)HONDAイーハトーブ125
 1983年(S58)…結婚の翌年…トライアルに目覚めた私が最初に購入したのはイーハトーブ125、たぶん中古車だったと思います。 そんなに乗らないうち冬が来てピカピカのオートバイが勿体無い私は借家の6畳間に一冬上げて置きました。 練習量も少なくマシンの特性について語るほども乗らなかったのですが、競技用ではなく街中を乗るようなマシンだったと思います。

(2)HONDA TLR200
 もっと上手くなりたいと思い、1984年(S59)の春に購入しました。 このマシンは当時売れに売れていたので、バイク屋に注文してから入手まで2ヶ月はかかったと記憶しています。 また・多くの大会に出場出来るようにとMFJのノービスライセンスを取得しました(ライセンスを取得していないと草大会位にしか参加出来ない為)。

 現「自然山通信」誌主宰の杉谷真氏の「テッテー的に乗りこなせTLR200」の題のごとく、それこそ乗り潰すかのごとく乗りました。 またこのマシンには各ショップから色んなパーツが出ていて、それに結構お金を使いました。 ハンドルやスプロケットはもちろんバッテリーレスキット/アンダガード/サイレンサー(ステンレス製・アルミ製)/コンペ用シート等々。

 このマシンでノービス(現NB)からジュニア(現NA)へ昇格(当時は10名以上参加の大会で優勝すると即昇格出来た)出来ました。 このマシンの長所は分かりませんが(初めて手にした本格的なマシンなので比較出来ない)、欠点は低速トルクが強い事です。 低速ターンの時にクラッチをラフに繋ぐとドドッとフロントタイヤが外側に膨らんでしまい、きちんとラインとレース出来ないことでした。

 この頃は週に4日間乗っていたのですが、4ヶ月ほどしたある時ボキッと純正のハンドルが折れて…鉄製/アルミ製に関わらず金属疲労折損することを知りました。 ちなみにハンドルを使用5ヶ月以内での折損はその後2〜3回経験しました。

(3)YAMAHA TY250R
 テクニックの更なる上達を願って1985年(S60)はこのマシンにしました。 最初乗った時低速ターンのしやすさに感動しました、低速のスムーズさとアクセルオン時のトルク、リヤショック吸収性等何もかも素晴らしく思えました。 おかげでこの年地方選手権を一年間ジュニアクラス(現NA)で戦い国際B級クラス(IB)に昇格することが出来ました…当時東北で年間8名昇格中4番目の成績でした。

 このマシンの弱い所はアンダーガードです、今のように強化アンダーガードが販売されていなかったので、頻繁にプレス機で修正してました。 次にエンジン(シリンダーの表面)が腐食しやすいというか塗膜が弱いというのか、人の十倍汗っかきの私(真冬の練習でも汗ボタボタ!)が乗ると半年くらいで黒色シリンダーはすっかりアルミ地肌になってしまうのでした。 あとフライホイールに重りのリングが付いているので、エンジン回転が鈍重だったようです。

 鉄フレームというのは金属疲労に弱いのか、1年間乗ってると必ずフレームのあちこちにクラックが入りました。 2年目も同じマシンに乗ろうとするとフレームの溶接をはじめあちこち修理に時間が取られるのでお金はかかっても新車にした方が安心して乗れるという訳で、TY250Rは3年(3台)続けて新車購入しました。

 余談:最初はマシンを毎年買い換える事など考えてもいなかったのですが、最初のTY250Rを2年目も乗ろうと思っていた時、ショップから「下取り引き受けるから新車にしませんか?」の誘いが…。 現マシンの疲労度・価格の条件・新たな気持ちで乗れる意識効果を考え応じる事に。 その為にはお金の問題が…こっそりと貯金通帳を持ち出して…「なんだか最近オートバイが光って見えるんだけど…」と妻に言われバレてしまいましたっけ。

(4)BETA ZERO
 1990年(H2)私にとって初の外車、イタリアのベータ製ZERO初期型でカラーリングは赤・倒立フロントフォーク・水冷エンジン・アルミフレーム等が特徴でしょうか。 外車の品質も向上してきたようで、一年通して安心して乗れるようになったかと思い新車で購入しました。

 購入に際してファンテックと他(ガスガスだったかな?)をチョイ乗り比較しましたが、フィーリングとデザインでベータに決めました。 日本車と違い左キックですが違和感は無かったです(ファンティックの前方踏みおろしキックに較べたら全然問題ありません)。 乗車フィーリングはTY250Rがかがんで乗るような前傾姿勢だったのに対してZEROは直立ぎみの姿勢で面白く感じました…腰痛になりにくいかなと思ったりして。 エンジンは元気に軽やかに回るフィーリングで気持ち良かったです。

 パワーフィーリングとかは良いのですが外車ゆえの問題がありました=つまり品質の点! ハンドルの取付角度を変更しようとハンドル取付ボルトを緩め外したら、ナント!ネジ穴に切りカスがつまっていて、そのせいでネジがなめていました。 他にはビス(小さなネジ)類の強度も問題有りのようでした。 決定的不具合はリヤブレーキの引きずりです、リヤタイヤを浮かして回転させても重たくて、走行するとリヤディスクブレーキ板は熱で変色するのでした。

 ブレーキキャリパー内のピストン戻り不良もあったと思いますが、真の原因は別にありました。 それはディスク板のボルト取付穴と、それに対向する車輪のハブネジ穴位置が合わない!!!のです。 ディスク板を止めるにはハブの面に対して斜めに浮かして、上から見てネジ穴が合うようにして取り付けます。 その結果走り去るマシンの後方から見て、ブレーキディスク板はゆらゆら揺れて見える訳です。

 原因が分かるまで月数がかかった事と、その上リコールとして扱って欲しいと輸入発売元への交渉に時間もかかり、結局直らないまま一年が終わってしまいました。 他にはゴム製品(エアクリーナーとキャブレター間のインテーク部)の脆さで、ヒビが入りエアを吸ってしまうのです。 ミシュラン等の高性能タイヤがあるのに、パーツ類のゴム製品はどうしてこんなに脆いのか不思議です。

(5)HONDA TLM260R
 1991年(H3)BETA ZEROの経験で外車に嫌気が差したので、国産に切替ることにして新車で購入しました。 マシンの特徴はほとんど覚えていませんが、可もなく不可もなくというかまとめられているけど個性が無いような。 購入して2年目のとある大会で、セクションイン前に全開空吹かししたらエンジンがガシャガシャッと止まってしまいました。 

 後日の修理でエンジン分解してみたらピストンリングがこなごな、シリンダーには傷も無くコンロッド部等のダメージも無く助かりましたが、珍しい故障もあるものだと思いました。 このマシンには3年も乗り最後はボロボロ状態でした、毎週土日に乗るだけでIBの私はそんなに酷使していないはずなのに。

(6)BETA TECHNO
 1994年(H7)ZEROから3年経ったので外車の造りもだいぶ良くなって来たかなとの期待もあり、再びベータ製マシンを選びました…TECHNO初期型で色は黒を新車購入です。 乗車フィーリングは好印象で楽しく乗れそうな気がしました、しかし造り(部品の精度等)は相変わらずでデザイン・スタイルは一級品ですが、されど品質は…イマイチ。

 TECHNOは合計3台乗りまして、最初は新車でしたが2台目・3台目は中古車です(金策続きません)。 共通して起きたトラブルはリヤブレーキのディスク板止めボルト折損、ディスク板をハブに止めるボルトが折れてしまうのです。 ディスク板がフローティング取付されているから、ブレーキング時の衝撃がボルトに掛かるのかとは思いますが。 とにかく折れたボルトがハブの雌ネジ内に残っているので取り出して貰うのが大変…そうなる前に定期的にボルト交換したほうが良いってのは分かっているんですけど。

(7)BETA REV-3
 2000年にREV-3初期型(倒立フロントフォーク)が発売されましたが、この年はまだTECHNO98型中古に乗っていました。翌年年明け早々にこの程度良のREV-3中古を購入。 しかし泣かされましたねえ〜このマシンには、致命的不具合はエンジンのフライホイール部…フライホイールとそれを取り付けるクランクシャフトのテーパ部角度が合わず密着しないと聞きました。 それと相まって両者を噛み合わせる為のウッドラフキー(半月キー)が細い為エンジン全開にすると即半月キーが飛んで→エンジン点火時期がずれる→エンジン止まる、その為全日本真壁でリタイヤ・兵庫猪名川で再発となり半年も待たず、年度途中で2001年型を新車購入しました。

 という経過の中でREV-3は3台乗り継ぎました(最後は2003年型を新車購入)。 REV-3型には共通の不具合箇所がありまして、それはステアリングステム付近=燃料キャップの上側…BETA車はメインフレーム中を燃料タンクとして利用していますが、その燃料キャップ上側付近の溶接部が弱くてクラックが入るのです。 だから購入半年位で当該箇所からガソリンが染み出して来る訳です…これがどうにも嫌でした。

(8)MONTESA COTA-4RT
 2005年型としてホンダとモンテッサから4ストマシンが久々に発売されました。 発売に先立って前2004年の世界選手権もてぎ大会で小川友幸選手のライディングによりデビューして2ストマシンと互角に戦えることを証明したので性能的は心配していませんでした。 環境問題から競技マシンも4スト化されるとの噂もあったので、思い切って乗り換えました。

 乗った感想ですが、まずスタンディング状態からフロントを左右に振る時に真横では無く、どうしても前進してしまうのです…低速トルクが強いせいか若しくはギヤ比が高いのか。 あとは連続ロックをぴょんぴょん越えていく時、石に合わせてアクセルをブッブッと小刻みにふかしますが、エンジンブレーキが利くせいかアクセルのON・OFFで身体がぎくしゃくしてしまうのです。 ついでに言えば車体が重い・排気音がうるさい・エンジンが一発で始動しにくい等マイナス面を感じました。

 でもそれ以上に新しいマシンにしたことで乗ることが楽しくなった事が大きく、また4ストマシンはグリップが良いとのイメージも気持ち的に良い効果をもたらしました。 

16.ルール・規則の考察
(1)セクション数と持ち時間
 全日本の大会スケジュールは当日の8:00〜16:30頃で行われますが、これは改善されるべきではないかと思うのです。 スケジュールの内容を見ますと、100名強のライダーが1分に一人ずつ順次スタートして5時間半程の持ち時間で競技を行い、終了後には表彰式があります。

 一日がかりは役員に負担を強いると思います、またオブザーバーのトイレ・食事などの問題もあるでしょう。 ライダー側からすれば8:00にスタートする人もいる訳で、朝早い時間から大会モードに入り集中しなければなりません。また観戦する側も大変で、全体を見ようとすれば早朝から丸一日もかかってしまいます。


 そこで私案ですが10セクション×2ラップで持ち時間が4時間というスケジュールはどうでしょうか、今よりも1ラップ少なくするだけで良いのです。時間短縮による役員の負担軽減、ラップ数(セクション数)減によりライダーの集中力持続が図られると思います。

 短時間化は観戦も楽になり、より全体を通して見ていただけるようになると思います。
しいては観客が増えてトライアルファンも多くなり、入場料収入により大会運営も楽になる等と思ったり…考えが甘いかな。

(2)前日の下見
 全日本大会では慣習?(MFJ競技規則で下見に関する記述は無い)で前日にセクション下見をすることが出来ますが、この競技前下見を禁止すべきだと思うのです。 問題点は役員のいない場で下見をすることにあります、誰も見ていない所では不正が行われるかどうか確認出来ません、こっそりと石をどかしたり置石をしたりするかもしれません。

 もちろん疑うばかりでなく性善説でものを見たいと思いますが、やはりトラブルを避ける為の明確な規則が必要だと思います。 セクション設定時のポイントを写真に撮り大会朝に原状どおりか確認する方法も考えられますが、どうしても非効率・非現実です。 大会中はセクショントライ前に下見が出来るわけですから、前日の下見は禁止してほしいものです。

(3)ルールの厳格化
採点の問題
 トライアル大会ではライダーが(オブザーバーと)採点で揉める事が時折見受けられます。 採点に対して不服のライダーがオブザーバーに抗議する場合です、「そんなに足を着いていない」等と(ライダーの思惑よりも少ない採点の時は当然“ラッキー”とだんまりを決め込みますが)。

 ライダーが足を着いたにも関わらず意識していない場合や、オブザーバーの採点間違い等があるかもしれません(オブザーバーから見えない場合は減点出来ないし、ライダーから抗議も受けないのでトラブルにはならない)。 採点に対して抗議するのはライダーが上級者になるほど見受けられる傾向にあります、それは老練でより勝負にこだわる為であるかもしれません。

 ライダーとオブザーバーは同じトライアル仲間で、大会格式によりライダーでエントリーしたりオブザーバー役員を担ったりする事があります。 オブザーバーにとっては憧れのライダーが走っている訳で、そんなライダーから抗議を受けたら採点の自信が揺らぐ事があるかもしれません。 どんなスポーツでもルール及び審判の判断は厳格であり、それは当然トライアルでもしかるべきです。 その為には更なるオブザーバーの育成・ルールの徹底が必要かと思います。

(4)タイム測定の問題
 トライアル競技には2つの持ち時間(タイムキーピング)があります、1つはスタート〜ゴールのタイム(1Lap終了までの時間と最終ゴールまでの2段階)、2つ目がセクション(インからアウトまでの間)通過タイムです。 スタート〜ゴールのタイム測定は2回ですが、セクション通過タイムは約10Sec×3Lapとかなり回数の多い問題です。

 セクションが長くハードに設定されていて、通過タイムである1分間ではぎりぎりといった箇所も見受けられます。 その分“オンタイムで通過した/しない”のシビアな判断が繰り返されるはずです。 コンマ何秒を争う競技ではありませんが、より正確性を期してライダー及び観客にも明示的な方法があればと思います。 あるオブザーバー経験者からライダーへの親切心?からセクションインの数秒後に測定開始していたと聞いたことがありますが好ましいことではないはずです。

 セクションアウト時の測定に抗議は無いので現状で特に問題無いようですが、ただ欲を言えば観客を含めた皆に分かるように時計測定に音を鳴らしたいものです←キッチンタイマーのように。 「ピーピーピー…」音がライダーを見守る周囲に緊張を走らせ、オブザーバーの密かな判断だった事がより明示化になり競技が見えてくるのではと思います。

 スタート〜ゴールのタイムについて
 制限時間内ゴールかタイムオーバーによる減点かの瀬戸際ですと、計測時間の認識トラブルに繋がりかねません。 接戦になるほどライダーはシビアになりますから、このような問題が発生しないような対策が必要です。 それで機械によるゴール時の計測が有効だと思うのですが…例としてゴール箇所にタイムカード式のようなものを置くのです。 ゴールしたライダーは自ら操作(カード挿入とかボタン押下等)して時間刻印を受ける、機械化などによる測定の正確さが必要だと思います。

セクション通過タイムについて
 セクション通過タイムは、ライダーがセクションインした時点で計測スタートしセクションアウトする瞬間までを測定する訳です。 …が、突き詰めて見れば曖昧に感じる部分もあると思います。 セクションのイン及びアウトはそれぞれの左右両側に配置したカードを結んだ線を想定して、そこをフロントタイヤの中心(アクスルシャフト)が通過する時点を言います。 この測定タイムに対しては意外と抗議(まだ何秒余裕があった等と)は見かけませんが、オブザーバーがタイムアウトの笛を吹いた時点でセクションアウトしているか否かの抗議は見受けられます。

 このトラブルを避けるには、一案としてセクションのアウト箇所にラインを引くのです…アウトの左右カードを結んだ線上にラインを引くのです。 こうすることによってマシン通過時点がより明確に分かると思います。

他のペナルティ問題
 トライアル競技規則ではオフィシャルへの暴力的な言動・行動に対して罰金や失格、オフィシャルの指示に従わない場合のイエローカード等の規則がありますが実際に履行された場面を見たことがありません。

 そのようなペナルティ行動が無かった訳ではなくて、あっても発動されなかったのだと思います。 例えば全日本大会でメカニック(ライダーのサポート役)がセクション内に勝手に立ち入り石を動かすとか、ライダーがセクション内で“堂々と”置石をした事がありました。 でもどちらの場合もオブザーバーは黙認していたと言うかペナルティは課さなかったのです、そのような行為に対して明確なペナルティ対処が出来なかったのだと思います。

 もでぎの世界戦では採点に対して不満を持ったメカニック(世界トップランカーの父親)がオブザーバーに対して「ルールも知らないのかこのバ〜カ!」と罵ったのを目にした事があります…その時オブザーバーはじっと黙してメカニックに対して何も対処しませんでした。

 オブザーバーミーティングでは採点基準ばかりでなくペナルティ(罰金や失格及びイエローカード)についての確認も行い、厳格な対応をするようにしていく事が強いては競技の公平化につながるものと思っています。

17.トライアルでの怪我
 骨折などの大怪我はありませんが、それでもしばらくの間練習/大会に支障が出る程の怪我は何度か経験しています。

足首の捻挫
 最初の怪我は足首の捻挫でした、トライアルを始めて数年後の頃です。 大会中のことで1m高程の直角岩を上がれず、ハンドルを握ったまま足を地面に着いたのです。 平な地面に着地するつもりが前上がりの斜面だったので、そこに後ろ向きに飛び降りた格好に。 着地した瞬間足首がグキッとなり強烈な痛みが走りました、大会はリタイヤして…帰路の車の中で足首はパンパンに晴れ上がりました。 アクセルは何とか踏めましたが、ブレーキは左足で操作してなんとか帰宅しました。

 一晩中痛みで眠れず翌日は病院へ。 アキレス腱は切れていないとの診断で安心はしたものの、足が地面に触れるだけで飛び上がるほどの痛み。 なんとか早く回復したいと思い、2週間目ほどから無理して足を着くようにしました。 オートバイに乗れるようになるまでは2ヶ月位かかりましたが、素人考えで判断せずスポーツ医学に詳しい病院に行けば良かったかなと思いました。 いまでも右足の可動範囲は狭いままです。

 足指の脱臼
 今は乗り入れる事は出来ませんがその昔は全日本も開催したことのある山形県栗子スキー場、土曜日だったと思いますが一人で練習に行きました。 履いていたブーツはSIDI、どちらの足かは覚えていませんが石にぶつけて痛いのなんの。 しばらく乗り回しましたが早めにきりあげ帰宅して休日当番医へ行きました、結果は足の人先指脱臼…その場で直して貰いホッとしました。 その後怪我再発が心配で安全靴のようにつま先に鉄板?の入った(←たぶん)ガエルネブーツを購入しました。

肋骨のヒビ
 次は肋骨のヒビです←たぶん(病院に行っていないので)。 練習中のことでしたが土手の段差を上がろうとした時です(一面1.5m程の壁みたいな感じの段差)、正面から思いっきり向かって上がれず激突でハンドルバーに胸をぶつけました。 時期は冬でちらちら雪の舞う寒さでしたが、胸の痛みでしばらくはのたうちまわっていました。
 肋骨の骨折というかヒビ位では何も治療方法は無いと聞いていたので病院には行きませんでしたが、1ヶ月間以上胸に痛みがあり、深呼吸も咳をするにも胸にひびいて辛いので練習もおとなしくこなしました。

テニスひじ
 40代後半…それも50歳近くになると体力・筋力の衰えが出て、日常の生活の中でも体のあちこちが痛くなったりします。 これらは老化現象=筋力の衰えからくるようで、このテニスひじも正にその筋力老化から発症したのだと思います。
 岩場で乗る時はハンドルを握るにも力が入ります、そんな場所での練習中右ひじにビリッと痛みが走りました。 腕がつったと思いその後はおとなしく乗り回して終わりましたが、1週間程たっても痛みが直りません。 早く直したいと思い病院へ…そしたら診断が「テニスひじ」つまり「上腕骨外上顆炎」=タオルをしぼる事が出来ない・ハンドルを強く握る事が出来ない等の症状…でした。
 年のせいか、これが直るのになんと1年ちかくもかかりました←何が辛いって老化ほど怖いものは無いです! 診て貰った病院の待合室で見たテニスひじの予防法、これは今も毎日欠かさず実践しています。 それは手首をストレッチするものでかなり効果があります、何せそれ以来は全日本大会でも腕がつる事も無くなりましたから。

18.準備体操・ストレッチ等
 トライアルを始めて数年後腰痛に悩まされました、常に腰が重苦しくそれでもオートバイに20分も乗ると腰が温まって楽になる為結構練習は出来ました。 しかし両手を着かないと布団から起きられない・足のふとももの裏側がピリピリ痛む等次第に悪化していった為病院に行きました。 「ヘルニアです、手術しますか」と言われ、それは嫌だと断りました。 ヘルニア治療について当時その病院では、切る事無く注射針みたいなので出っ張った箇所をを吸い取るといったような方法を試みているとかも聞きましたがそれも断りました。

 なんとか他の方法で直したいと色んな所へ出かけては通いました、あんまマッサージ・針治療・整骨院などなど。 窮すれば通じるというか必死になっている時は、結構欲する情報を得るものです。 最終的には整骨院に通って自然と痛みを和らいでもらい、腹筋背筋を少しずつ鍛えることで治って行きました。

 腰痛が治ったのち腹筋背筋のトレーニングは長続きしませんでしたが、この経験から腰痛予防として練習の始めと終わりに腰のストレッチを必ずやるようにしています←腰のストレッチはかなり有効です。

 あとテニスひじの経験から手首のストレッチもお勧めします。 方法を紹介しますと私は毎晩風呂に入っている時に行いますが、腕を前にまっすぐ伸ばしたらもう片方の手で手のひらを強く反らせるだけです。 上方向と下方向にそれぞれ20秒間程反らせるのです…これだけで腕がつることが無くなります。